正しいことをしないといけないのか

2016年05月17日

災害が起きればボランティアが集まり、芸能人はチャリティーコンサートを行う。テレビでは募金を呼びかける。ネットでは人助けをする動画が配信され、それに共感する人が「いいね」を多く押す。
震災の報道を行った関係者がコンビニで弁当を買っただけでも非難を浴びる。
私たちは常に善人でなければならず、正しい行いをしないといけないのだろうか。
 
社長がクルーズに行けば金持ちがいい気になっていると陰口をたたかれてしまい、日本では大企業の社長がクルーズにも行けないという。
昔、大スターというのはハワイで大型のクルーザーに乗って優雅なバカンスを過ごし、それが一般庶民にとってあこがれとなっていた。それに悪口を言う人はいなかったものだ。
高級外車に乗ってこそ大スターであったはずだ。それがエコカーや電動自動車でないと、エコや自然保護を考えていないと非難される時代となった。
金持ちがプライベートジェットでラスベガスへ行き、ギャンブルをやれば良くは言われない。東京都知事がファーストクラスで海外視察に行けば、メディアで叩かれてしまう。
お笑い芸人が震災のときに、ギャクが言えない時代となった。
様々なことが世間を気にして、本音を言えないし、好き勝手な行動も慎まなければいけなくなった。
 
報道の自由がない国として、日本の報道の自由度はかなり低く評価された。これはむろん国からの圧力という意味もあろうが、どんなことにもタブーなしで発言できないのが、日本のメディアであり、これは国だけの問題ではない。
自由に生き、自由に発言できてこそ本当に健全な国であるはずが、いまの日本はいろいろな意味で非常に不健全な状態である。芸人の不倫スキャンダルで、本人はテレビにも出られなくなっている。
イタリア、フランスでは政治家が不倫してもまったく国民は興味がなく、それが本質的な問題ではなく、政治家としての活動で評価をしていくのかもしれない。
日本では政治家、芸能人、文化人など、知名度が高くなればなるほど、清く正しく、社会の規範となるような生き方をしなければいけないように考えられてしまう。
 
しかし、そういった厳しい規律ができればできるほど、文化は育たなくなってしまう。 そんなに世間はみな清廉潔白なのだろうか。SNSなどで他人を批判する人たちにそう問いたくなる。
 
海外へ行くと電車の駅に改札口がないことがある。切符の販売はしているが、それをチェックしないで電車に乗れる。たまにキセルをしている客を捕まえに車掌が回ってくるが、普段は乗っている客の良心にまかせている。まさにオトナの世界である。
すべての人が清廉潔白でなければいけないなら、日本の駅でも改札口をなくしてもいいということだろう。ただ乗りする乗客はいないはずだし、チェックされなくてもきちんと切符を買うはずだということになる。
 
私たちは自分の行動を正当化する生き物である。自分は常に正しいことをしている。後付けでそういった考えをして、自分を納得させていることが多い。
しかし、実際には無駄や馬鹿なことをしているし、その無駄や馬鹿がとんでもない発明を生み出している。
いまのように正しいことだけをしていくことが正義で、すべてであるような風潮は、やはりおかしいのではないだろうか。
健全なオトナ社会とは無駄で馬鹿なものであるのだから。

 作家・医学博士 米山公啓 執筆者紹介

 作家・医学博士 米山公啓

1952年山梨県生まれ。作家・医学博士。専門は神経内科。1998年に聖マリアンナ医科大学内科助教授を退職。現在は週4日、東京都あきる野市にある米山医院で診療を続けるかわたら、実用書や医学ミステリーなどの執筆から、講演、テレビ・ラジオ出演など、幅広い活動を行っている。著作は280冊を超える。主な著作には「もの忘れを90%防ぐ法」(三笠書房)「脳が若返る30の方法」(中経出版)「健康という病」(集英社新書)など。趣味は客船で世界中の海をクルーズすること。

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